2013.05.30.Thu
おもいでは、息苦しき日々
タイトルつなげたらひどいことになった!全体的にひどいエントリです。久々にこういうのが書けてうれしいです。
●商業作品を楽しむことの息苦しさについて
ひどいタイトルですね。ひどいのはわたしなんですけど。
ファタモルガーナの館のサントラを聞いています。段々内容がわかってきました。プレイヤから選ばれた曲をアレンジしたオーケストラ「ファタモルオーケストラ」なんか、聞いていてすっごく感動しますね。やっぱりゲーム中の感動が蘇るというアレを体験できてとても嬉しいなーと思います。
で、心底楽しんでる一方で、アレなんでこんな楽しんでるんだ自分は?と思った時、思い立ったのがゲームの要素(シナリオ・音楽・イラスト)それぞれが素晴らしいんですが結局は総合作品として好きだから楽しいんだなということに思い至ったからです。ゲームして面白くてサントラ買ったってそりゃそうなんですけど、幸いにも、そこに商業的な思惑をキャッチすることがなかった。なので普通に「ゲーム音楽」として楽しめていることに安心してしまったのだろうかと気づいて、結構唖然としました。
商業作品は、ヒットすればグッズが出たりライブがあったり舞台があったり二次展開してもらえてとても楽しいです。私も大好きです。ただ、そこに「この作品を使って他のものも売り上げたい!足掛かりにしたい!」という切なる願いが込められているのが、大半ではないでしょうか。お金が関わってくるので当たり前です。しかし、最近はそれを私が一方的に必要以上に感じる機会があって、作品の恩恵を受けている人、なんとか受けようとしている人、それに関する周囲の反応や、ネガティブとも思える言葉というのを目にする機会もありました。まあ自分から見に行ってただけなので、調べすぎた私が純然たる馬鹿だったというだけですが、それによって疲労が溜まっていたのかなと今更ながら認識しました。
舞台に行ったもののその仕上がりにどこまで寛容になればいいんだろう、とか、ゲームが好きなら音楽も肯定しなきゃならないのか、とか、作っている人の姿勢や、関わっている人の発言をどう受け止めれば私も楽しくなれるのかとか、意識はしていないんですが考えてしまっていたようです。結果、随分と息苦しくなっていました。肯定できないのが辛く、寛容になれない自分に苛立って、自分が何を好きなのか大事にしていたのか忘れかけていた。ただのバカです。すみませんほんとすみません……ここに来るまで気付かなかった。
それで流れに流れて久々に「作品」として好きになれる褒められるゲームをプレイできて、商業では長らく目にする機会のなかった(たまたまでしょうが)クリエイターの拘りを、幸いにも純度の高い状態で触れることができた。(事前情報をあまり入れなかったというだけですが)
私が勝手に感じているのですが、そこに「押しつけがましい」と感じる要素がなかったのです。ただ作りたくて作った、拘りたいから拘った、「総合作品として完成度を高めたかった」。だから私は音楽も絵もゲームの一要素として楽しんでおけばいい、という所で留まれている。それがとても楽だった。楽に楽しめるって、こんなに嬉しいことなんだと、本当に今更思い出しました。
商業作品だって、最初の入口は「作品は好きだ」って気持ちなんです。自分で選んで二次展開を楽しんでその先のものまで見て勝手に疲れたといってれば世話ありません。
やっぱりネット検索野郎というか、あれこれ調べに行って経過観察してしまう癖があるのですが、それで作品を楽しめなくしていることがあるのでなんとかせねばと思いつつ……。
随分前から、萌え豚のくせにいっちょ前に考察もどきしやがってというか、無駄に客観的に評価して自ら作品愛を潰すような真似をしてきたんですが、いまだにその悪癖が治らずすったもんだしているという話でした。
もしかしたら一生このままかもしれません……自滅するしかないのかっ。
●充実した(ように見える)人生-エントリ-とは
うわーもっと嫌なタイトル来た!いや大した話ではないんですけど。
皆様は友達や同僚を羨ましがったりするものでしょうか。まあ、全くしませんて方もいらっしゃらないと思うんですけれど。基本的に人はないものねだりなので、自分にないものを持っている人が羨ましく見えたりするものです。それが、下手に心理的距離が近いと尚更比較してしまって落ち込んだりもするものです。簡単に例えると、子どもの時に感じた「隣の子の点数が自分より高いか低いか気になる」あの現象ですね。なんかこう書くとすごいシンプルな問題に聞こえる。
SNSが普及して自分がいかに充実しているかを演出するのが流行ってから、他人のエントリを見て「私ってなんて薄い人生送ってるの」と思ったり「この人よりマシだ」と安心したり比較することから逃げられないような状態になったかなーと思います。ここでも何度か取り上げているSNS疲れに近いものですね。私も人様のブログはプロアマ問わず見るんですがキラキラした日常をエントリに書いている方とか見るとさぞかし充実しているのかなあって思うんです。しかし、かといってその人と同じように日常のなけなしのキラキラした部分をここに書いたところで自分が充実するかというと「そんなことよりゲームの感想や社会に唾吐くようなエントリを書きたい」と思ってしまうに違いありません。第一、私の日常にキラキラした部分なんかありません。泣いてねえから!!
というか充実したと思ったところでその瞬間がすぐ過去になるから何をもってして充実と定義するのがわからない。充実と忙しいは違いますしね。
なんか自分、めんどくさい奴だな……
ハイ。
声優や芸能人のブログとか見ているとすっごい華やかな日常を送っているなー充実しまくってるなとか思うんですけれど、まあ、それを見せるのが仕事ですよねと冷静になってみたり。激烈に忙しい方は代行会社に代筆してもらってるらしいですし(ウソかホントかは謎ですが、納得してしまう)、華やかなだけではなかろうかなと感じてもしまうのです。生活苦や就職難やうつ病に悩まされる方の日記もありますしね。あと、友達が羨ましいってのも友達だから羨ましいだけで、何かのタイミングで知り合う機会がなければ、羨ましいと思うことさえない運命だったかもしれません。
というわけで比較というのは結構不毛というか続けていくと当人を削るだけの感情なんですけれどかといって辞めるにはどうしたらいいか、という答えにはたどり着きませんでした!
あー、あと言ってしまっても良いでしょうか。これが本論なんですけれど。
本当に満ち足りているのなら、(プロモーション目的以外で)そういう自分を演出したり、人に見せつけるようなことはしなくても平穏無事心穏やかに過ごせるのではないかなと思うのです。
●皆、自分の世界で生きている
皆様、偏見はありますでしょうか。ない人はいないと思います。「常識とは、その人が18歳までに積み重ねた偏見」という言葉?があるくらい、自分の常識というのは偏見で構成されている。
身近でも遠くの人でも、何か1つ恐ろしい思いをするともう二度とそこには近寄りたくないということも少なくないんじゃないでしょうか。
友達の話を聞いていても、皆、たった1つの恐怖体験で色々なものから遠ざかっていることが伺えます。
私はAというジャンルに友達にがいるので、そのことを話題にしようとしたところ、難色を示されたことがあります。「昔、Aというジャンルでトラブルがあり、もう二度と近づきたくないから」という理由で。その後、その友達の前でAというジャンルのことを話題に挙げることは辞めました。また、Bという声優ファンに失礼な態度をとられてから、もうBという声優のファンには近づきたくないとか、Cというカップリングを好きな人には近づきたくないとか、もっと大きい括りで「何か」が駄目になってしまったということをたくさん聞いてきました。たった1つ、たった1人がその固有の世界のマイナスイメージを代表し人を遠ざけるというのも、仕方ないこととはいえ少し歪かもしれないと思います。
例に漏れず、私もあります。人の目が気になって作品の感想が素直に書けなくなった同人サイトでは、肯定的な萌え話と同人情報以外を載せることは辞めました。作品批評したところでいまや閑古のサイトに苦情が来るとも思わないんですが、今更書く気が起きずそういった話題はすべて中の人にアウトソーシングしている次第です。(というか同人関係のことは同人サイトにアウトソーシングしたってほうが正しいかも)
そう思うと、オタクの世界でも価値観や基準というのはあまりに多様で、まずそこを理解するのが仲良くなる一歩?なのかもしれないかなと思います。いわゆる地雷避けというか、何が苦手かを理解するだけで対応が相当変わってきますからね。
多分これは、「牡蠣に当たった」ようなトラウマなのではないかと……。
●三国恋戦記~おもいでがえし
(OP見る)
あっ、予約しちゃった!
て感じでホイホイ予約をしてしまいました。恋戦記は一番最初のPC版しかやっていないのでもう随分前のコンテンツのような気がしますが、まだまだ愛されていますし、何より評価が高かったので移植すればどんどん新規が入っているのかなと。安心して遅ハマリできる珍しい乙女ゲーかな、みたいな。
本編も移植しまくってたのでいずれおもいでがえしも移植するんでしょうけど、自分はやっぱりPCゲが好きだなと思います。気分が盛り上がっちゃって一番好きな子龍のルートだけ本編おさらいしたんですが何だかんだ萌えますね!!EDの師匠との会話とかすごい好きだなーと思いました。(「玄徳様と花殿が崖から落ちそうになったら玄徳様を助けます」ってやつ)にしても惚れた腫れたの話になるまでかなり長いので大丈夫か、と途中で心配になりました。あんな調子で子づくりとかできんのかな……(余計なお世話)
しかしまあ、しばらく三国恋戦記みたいな、話もキャラも萌えもガッツリ楽しめる(プレイ時間も長いよ)みたいな乙女ゲはプレイしていませんね。私が知らないだけでどこかにあるのかな……。教えてエロい人。新作におよび腰になっていったりいまいち盛り上がらないでいると、いわゆる「感性が摩耗した」状態なのかなと思います最近は。深夜アニメ見過ぎで面白く感じられなくなるアレです。そう考えるといつまでも似たようなものが楽しめるというのは、ものすごい強みなのかもしれません。
ところでしらつゆって聞くとお吸い物みたいの想像する。
●商業作品を楽しむことの息苦しさについて
ひどいタイトルですね。ひどいのはわたしなんですけど。
ファタモルガーナの館のサントラを聞いています。段々内容がわかってきました。プレイヤから選ばれた曲をアレンジしたオーケストラ「ファタモルオーケストラ」なんか、聞いていてすっごく感動しますね。やっぱりゲーム中の感動が蘇るというアレを体験できてとても嬉しいなーと思います。
で、心底楽しんでる一方で、アレなんでこんな楽しんでるんだ自分は?と思った時、思い立ったのがゲームの要素(シナリオ・音楽・イラスト)それぞれが素晴らしいんですが結局は総合作品として好きだから楽しいんだなということに思い至ったからです。ゲームして面白くてサントラ買ったってそりゃそうなんですけど、幸いにも、そこに商業的な思惑をキャッチすることがなかった。なので普通に「ゲーム音楽」として楽しめていることに安心してしまったのだろうかと気づいて、結構唖然としました。
商業作品は、ヒットすればグッズが出たりライブがあったり舞台があったり二次展開してもらえてとても楽しいです。私も大好きです。ただ、そこに「この作品を使って他のものも売り上げたい!足掛かりにしたい!」という切なる願いが込められているのが、大半ではないでしょうか。お金が関わってくるので当たり前です。しかし、最近はそれを私が一方的に必要以上に感じる機会があって、作品の恩恵を受けている人、なんとか受けようとしている人、それに関する周囲の反応や、ネガティブとも思える言葉というのを目にする機会もありました。まあ自分から見に行ってただけなので、調べすぎた私が純然たる馬鹿だったというだけですが、それによって疲労が溜まっていたのかなと今更ながら認識しました。
舞台に行ったもののその仕上がりにどこまで寛容になればいいんだろう、とか、ゲームが好きなら音楽も肯定しなきゃならないのか、とか、作っている人の姿勢や、関わっている人の発言をどう受け止めれば私も楽しくなれるのかとか、意識はしていないんですが考えてしまっていたようです。結果、随分と息苦しくなっていました。肯定できないのが辛く、寛容になれない自分に苛立って、自分が何を好きなのか大事にしていたのか忘れかけていた。ただのバカです。すみませんほんとすみません……ここに来るまで気付かなかった。
それで流れに流れて久々に「作品」として好きになれる褒められるゲームをプレイできて、商業では長らく目にする機会のなかった(たまたまでしょうが)クリエイターの拘りを、幸いにも純度の高い状態で触れることができた。(事前情報をあまり入れなかったというだけですが)
私が勝手に感じているのですが、そこに「押しつけがましい」と感じる要素がなかったのです。ただ作りたくて作った、拘りたいから拘った、「総合作品として完成度を高めたかった」。だから私は音楽も絵もゲームの一要素として楽しんでおけばいい、という所で留まれている。それがとても楽だった。楽に楽しめるって、こんなに嬉しいことなんだと、本当に今更思い出しました。
商業作品だって、最初の入口は「作品は好きだ」って気持ちなんです。自分で選んで二次展開を楽しんでその先のものまで見て勝手に疲れたといってれば世話ありません。
やっぱりネット検索野郎というか、あれこれ調べに行って経過観察してしまう癖があるのですが、それで作品を楽しめなくしていることがあるのでなんとかせねばと思いつつ……。
随分前から、萌え豚のくせにいっちょ前に考察もどきしやがってというか、無駄に客観的に評価して自ら作品愛を潰すような真似をしてきたんですが、いまだにその悪癖が治らずすったもんだしているという話でした。
もしかしたら一生このままかもしれません……自滅するしかないのかっ。
●充実した(ように見える)人生-エントリ-とは
うわーもっと嫌なタイトル来た!いや大した話ではないんですけど。
皆様は友達や同僚を羨ましがったりするものでしょうか。まあ、全くしませんて方もいらっしゃらないと思うんですけれど。基本的に人はないものねだりなので、自分にないものを持っている人が羨ましく見えたりするものです。それが、下手に心理的距離が近いと尚更比較してしまって落ち込んだりもするものです。簡単に例えると、子どもの時に感じた「隣の子の点数が自分より高いか低いか気になる」あの現象ですね。なんかこう書くとすごいシンプルな問題に聞こえる。
SNSが普及して自分がいかに充実しているかを演出するのが流行ってから、他人のエントリを見て「私ってなんて薄い人生送ってるの」と思ったり「この人よりマシだ」と安心したり比較することから逃げられないような状態になったかなーと思います。ここでも何度か取り上げているSNS疲れに近いものですね。私も人様のブログはプロアマ問わず見るんですがキラキラした日常をエントリに書いている方とか見るとさぞかし充実しているのかなあって思うんです。しかし、かといってその人と同じように日常のなけなしのキラキラした部分をここに書いたところで自分が充実するかというと「そんなことよりゲームの感想や社会に唾吐くようなエントリを書きたい」と思ってしまうに違いありません。第一、私の日常にキラキラした部分なんかありません。泣いてねえから!!
というか充実したと思ったところでその瞬間がすぐ過去になるから何をもってして充実と定義するのがわからない。充実と忙しいは違いますしね。
なんか自分、めんどくさい奴だな……
ハイ。
声優や芸能人のブログとか見ているとすっごい華やかな日常を送っているなー充実しまくってるなとか思うんですけれど、まあ、それを見せるのが仕事ですよねと冷静になってみたり。激烈に忙しい方は代行会社に代筆してもらってるらしいですし(ウソかホントかは謎ですが、納得してしまう)、華やかなだけではなかろうかなと感じてもしまうのです。生活苦や就職難やうつ病に悩まされる方の日記もありますしね。あと、友達が羨ましいってのも友達だから羨ましいだけで、何かのタイミングで知り合う機会がなければ、羨ましいと思うことさえない運命だったかもしれません。
というわけで比較というのは結構不毛というか続けていくと当人を削るだけの感情なんですけれどかといって辞めるにはどうしたらいいか、という答えにはたどり着きませんでした!
あー、あと言ってしまっても良いでしょうか。これが本論なんですけれど。
本当に満ち足りているのなら、(プロモーション目的以外で)そういう自分を演出したり、人に見せつけるようなことはしなくても平穏無事心穏やかに過ごせるのではないかなと思うのです。
●皆、自分の世界で生きている
皆様、偏見はありますでしょうか。ない人はいないと思います。「常識とは、その人が18歳までに積み重ねた偏見」という言葉?があるくらい、自分の常識というのは偏見で構成されている。
身近でも遠くの人でも、何か1つ恐ろしい思いをするともう二度とそこには近寄りたくないということも少なくないんじゃないでしょうか。
友達の話を聞いていても、皆、たった1つの恐怖体験で色々なものから遠ざかっていることが伺えます。
私はAというジャンルに友達にがいるので、そのことを話題にしようとしたところ、難色を示されたことがあります。「昔、Aというジャンルでトラブルがあり、もう二度と近づきたくないから」という理由で。その後、その友達の前でAというジャンルのことを話題に挙げることは辞めました。また、Bという声優ファンに失礼な態度をとられてから、もうBという声優のファンには近づきたくないとか、Cというカップリングを好きな人には近づきたくないとか、もっと大きい括りで「何か」が駄目になってしまったということをたくさん聞いてきました。たった1つ、たった1人がその固有の世界のマイナスイメージを代表し人を遠ざけるというのも、仕方ないこととはいえ少し歪かもしれないと思います。
例に漏れず、私もあります。人の目が気になって作品の感想が素直に書けなくなった同人サイトでは、肯定的な萌え話と同人情報以外を載せることは辞めました。作品批評したところでいまや閑古のサイトに苦情が来るとも思わないんですが、今更書く気が起きずそういった話題はすべて中の人にアウトソーシングしている次第です。(というか同人関係のことは同人サイトにアウトソーシングしたってほうが正しいかも)
そう思うと、オタクの世界でも価値観や基準というのはあまりに多様で、まずそこを理解するのが仲良くなる一歩?なのかもしれないかなと思います。いわゆる地雷避けというか、何が苦手かを理解するだけで対応が相当変わってきますからね。
多分これは、「牡蠣に当たった」ようなトラウマなのではないかと……。
●三国恋戦記~おもいでがえし
(OP見る)
あっ、予約しちゃった!
て感じでホイホイ予約をしてしまいました。恋戦記は一番最初のPC版しかやっていないのでもう随分前のコンテンツのような気がしますが、まだまだ愛されていますし、何より評価が高かったので移植すればどんどん新規が入っているのかなと。安心して遅ハマリできる珍しい乙女ゲーかな、みたいな。
本編も移植しまくってたのでいずれおもいでがえしも移植するんでしょうけど、自分はやっぱりPCゲが好きだなと思います。気分が盛り上がっちゃって一番好きな子龍のルートだけ本編おさらいしたんですが何だかんだ萌えますね!!EDの師匠との会話とかすごい好きだなーと思いました。(「玄徳様と花殿が崖から落ちそうになったら玄徳様を助けます」ってやつ)にしても惚れた腫れたの話になるまでかなり長いので大丈夫か、と途中で心配になりました。あんな調子で子づくりとかできんのかな……(余計なお世話)
しかしまあ、しばらく三国恋戦記みたいな、話もキャラも萌えもガッツリ楽しめる(プレイ時間も長いよ)みたいな乙女ゲはプレイしていませんね。私が知らないだけでどこかにあるのかな……。教えてエロい人。新作におよび腰になっていったりいまいち盛り上がらないでいると、いわゆる「感性が摩耗した」状態なのかなと思います最近は。深夜アニメ見過ぎで面白く感じられなくなるアレです。そう考えるといつまでも似たようなものが楽しめるというのは、ものすごい強みなのかもしれません。
ところでしらつゆって聞くとお吸い物みたいの想像する。
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