今日のエントリはやや長く、上がり下がりがあります。
●萌えってなあに?ずっと萌えるものを探している。という話題はオタクの友達との間で往々に交わされる会話です。
私もなんですが長くオタクしていると色々な作品にハマっては抜けハマっては抜けという繰り返しを経験します。それを死ぬまで繰り返せる人もいますが年を重ねれば「なんかその状態すら疲れる」という涙を誘う展開にぶち当たる人もいます・・・。
そこで思うのです「萌えに出たり入ったりするんじゃなく、もう永続的に何か一つの作品に萌えていたい」と。
オタクの気力体力も年齢と共に最大値が低くなっていくのかもしれませんね・・・。
そこでよく「いま流行ジャンルの〇〇にハマれば楽しいんだろうな」という話題に流れます。〇〇はある時はうたプリだったり黒子のバスケだったり2.5次元コンテンツだったりわかりやすく展開しているものだったりするのですが、手をつけてみたものの肩まで浸かるほどではないとか、ジャンルが巨大すぎると恐ろしくて近づけない等の守りの姿勢もとってしまったりします。経験を重ねるとそういう弊害も起こったりするのですね・・・。
あーアレ流行ってんなー友達もハマってるみたいだし。楽しそうだし。でも私ハマれんのかなー?とかしているうちに旬を過ぎてしまったりなんてこともあります。最近は展開早いですからね。それで周囲はそれぞれ色々萌えているのに自分はどうも最近ハマれてない!なんて軽く葛藤のようなものも抱えてしまったりして、自分の過去の萌えを思い出したりして「あのすばらしい萌えをもう一度!」なんて気持ちが蘇ってきたり。という流れに「あるある」出来る方はそこそこ長いオタク人生を歩まれているのかもしれません。
この「周囲からの取り残され感」もなんともいえないですよね。別に萌えなくとも死ぬまではいかないんですが、なんかハマりたいわーってなる。何か心折れることがあって立ち直れない時に萌えがないと萌えてる友達が羨ましい、みたいな気持ちさえ芽生えてきてしまうかもしれません。萌えについてまで他人と比較してしまう瞬間が訪れるかもしれません。
しかし萌えとは本来、孤独でも成立するものなのです。
語れる相手がいなくとも、喜びを分かち合える仲間がいなくとも、金吸い取っていくだけで会話もしてくれないしご飯も用意してくれない無機物がそこにあるだけで幸せ!それが萌えというものなのです。どこまで言っても一人完結型なんですよね。
孤独のグルメでも、こういう有名な台詞があります。
「モノを食べる時はね誰にも邪魔されず自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで・・・」
これは萌えにも通じるんじゃないかなと思いました。
つまり萌えは救い。萌えは自由。本来は独りで静かで豊かなものだったんだよなーと最近色々あって思いました。
と、いうのも私も萌えに行き詰まる経験をしたからです。
ここから原稿話になってしまい申し訳ないのですが・・・
原稿をするという作業は自分の萌えを燃料にひたすら作業をするという状態です。となると、萌えのスタミナがどれだけ持つかという見積もりも必要になってくる。時間やスケジュールの問題もありますが、自分のスタミナを見誤って息切れしてしまい締切までに作品が完成せず新刊落とす、なんてことはざらにあります。萌えを糧にしているのなら尚更。ですので、締切までにどれだけ萌えを保ち続けるかなどということまで私は考えるようにしています。
しかしながら駄目な時は駄目です。落とす時は落とします。ですが萌えが尽きた愛がなくなったなどと嘆くのも何か違うと思うのです。萌えは作品や妄想から供給しますが、一方で仕事や家庭やその他色々なもので削り取られていくもの。供給源は限られているのに、消費する場所は多岐にわたるんですよね。不公平なことに。だから、萌えを気づかないうちに削り取ってしまっていることも多い。気づけば消費していたなんてことは多々あるものではないかなと。
人にもよりますが、萌えは有限かなと思うことはあります。いつ灯が消えてもだれも悪くないし誰も責められない。責を感じてしまうようであれば、それは環境や自意識が許してくれないだけじゃないかなと思ったり。
何でこういうことを考えるかというと自分が今(以前からですが)萌えの運用について考えさらには「萌えとは何ぞや」といらんことまで考え始めたからです。その時たまたま萌えに萌えまくっている方のブログとか感想とか読み一人でも楽しく萌えてる様子を見て、「萌えとは本来こうだよなあ」としみじみしてしまったからです。萌えは誰かから強要されるもんではなくましてや自分が思い込む義務ではないのですよね。
●ミステリアプレイしつつ乙女ウォッチング原稿の合間にミステリアをプレイしています。今のところいいキャラゲーという感じですがまるっきりキャラゲーというほどお話は崩壊していなくて安心しています。乙女要素も今のところあまり見当たらないんですが、キャラ立てする前に乙女要素をいれられてもうまく反応出来ないタイプなので、キャラをしっかり理解したいなと思います。
最近はときメモイベントのレポがあげられたりときレスがはじまったりオトメイトパーティの情報が展開されたり(何か今年は勿体つけて発表してませんか・・・?そんなことないか)色々あって楽しそうですね~~~羨ましいですね~~って感じです。まさに上記したような状況。中の人も大概諦めが悪いですねゲフ。
いずれにせよ「なんか萌えてて羨ましい」ですね。や、私もBLゲに萌え萌えしているんですがやっぱこう乙女とは種類が違うんですよね。BL萌えも楽しいですが、乙女の、あの、「ピギャーーーーーーー!」みたいなノリもすごく楽しいと知っているので、うう、いいなあみたいな。
あー私はなんでときメモに手を出さなかったのかな~~~(レポを読みながら)
月末には下天×プリンセスアーサーのわくわくどきどき発売日も控えていてなんかもう話題に事欠かないです(そしてまさかの神ゲー展開を期待している。そろそろ神作こいこい!)。そして薄桜鬼が何ちゃらに展開という情報はどうなんでしょう。その際のファンのリアクションも気になります・・・。
●「いいね!」ならぬ「いいな!」カレー沢先生大好きですみません。今回の負ける技術が心に刺さったもので。
・「負ける技術 #133 I’m happy!」
http://morningmanga.com/blog/makerugijutsu/SNSでの「幸せアピール合戦」について書いてあるのですが・・・オタクSNSでも似たようなことは起きてませんでしょうか(笑)いいね!じゃなくていいな!が欲しくて幸せアピールしているっていうのは、なんとも、心が痛いです。いや、幸せなことを幸せと叫んで何も悪くはないのですが、それに承認欲求や自己顕示欲を見出してしまうのも心苦しいですよね。そこまでしてインターネットで満たさなければならない欲求って何なのだろうと考え込んでしまいました。
ちなみに私はmixiは早々に抜けて、Facebookには近づかない、リアルの友達のtwitterはあまり見ないという鉄壁の防御をしているので死角はなかった(震え声)どんだけ心が弱いのかとそっちにショックを受けました。
●ネット上でのなりすましについて芸能人のなりすましTwitterがたまに問題になりますが、こちら(オタク)側でも出てきたようです。いや、知らないだけで以前からあったのかもしれません。
・黒八氏のなりすまし被害と加害者の不可解な行動
http://togetter.com/li/470227まだ途中経過なのでなんとも言えないんですが、ゲームコミカライズを担当され同人もされている作家さんがネット上でなりすまされていたという顛末(の途中)です。ご存知の方も多いかもしれませんが・・・。どこからどこまでが真実なのかというのは、ネットの情報しか見ていない私にはなんともいえないので、人間性とか姿勢とかやり口とか許す許さない論は割愛し、「なりすますほど満たされない心」について考えます。今日のエントリでつらつら書いてきたことのまとめのような気分ですね。なんとなく。憶測や推測が多く事実真実とはかけ離れているかもしれません。予めご了承ください。
素直に考えて、なりすまし行為を行っていた方は、おそらく作家さんが大好きで、憧れていて、羨ましくてなりすましを始めたのかと思います。そしてなりすました結果、ファンやお友達が出来て、きっと、本来の自分では得られないような充足感や快感があったのではないかと。それでなりすましを辞めることができなくなり嘘に嘘を重ねるしかなくなるほど事態が巨大化していったんだなと・・・。
そう考えて、居た堪れないなと思いました。
私もさんざんネットやリアルでの惨めな経験について書いてきましたので、認められない情けなさというのは良く知っています。ただ、どんなに褒められてもどんなに慰められても、他人をうらやむ気持ちがある限りそこから抜け出すことは出来ません。そもそも羨まない・羨むことをやめることが出来なければ、ずっとそのままです。満たされないのは結局自分で、恥ずかしいままなのも自分で、人の威光を借りてもそれはずっと変わらないかなと思います。
最近よく格差社会について考えていましたが、それが公になってしまった事態になっていてい見ていて・・・Oh・・・ってなりました。それがここまで大事になっているのも居た堪れなくなりました。
ネットで情報を発している人は、大小に差はあれど「見てほしい」「わかってほしい」「構ってほしい」という気持ちはあると思います。コメント・拍手受け付けないブログであっても、匿名掲示板であっても、誰かがアクセスできるネット上に置いている以上誰かが見ていてくれているという安心感が欲しいのだと思います。そしてそれは正しいと思います。そこから出会いがあったり発見があったりするので、むしろ肯定すべきことと私は思っています。
長いあいだネットを放浪しているので、私もたいがい構ってちゃんの才能があり、今も昔もきっとこれからもネットで構ってし続けるのだと思います。ツールのせいにするのは良くないのですがネットというのはその構って願望を増長させるシステムに優れていて、情報の端々から自分の自尊心を傷つける要素を見出しかねません。そこと折り合いをつけなければ、ネットに居続けることさえ困難になっていくのかなあと思いました。
「人と比べることなく、自分なりの幸せを見つけましょう」だなんて、とても言えないですね。
「独りで静かで豊か」でいることは、出来ない人にとっては本当に困難なんだと、嫌な読後感で終わらせようと思います。同人誌ではいい読後感を目指しているので、その反動ということで。
なんだか最後はしんみりしてしまいましたが、締切も桜も待ってくれません。時間に限りはあるので、萌えも桜もご利用は計画的に。