2012.02.29.Wed
期待値の高さから起こる怒り~愛と萌えの裏切り
ゲームとか漫画とかアニメ薦めるのって難しいですよね。私は難しいなっていつも思っています。
なんでかと言うと、自分が面白いよーって思って薦めたはいいものの相手が楽しめなかったらどうしよう?って不安になるのです。
今やっているアニメとかネットでわかるものならまだしも、ゲームだったりすると・・・ねえ。高いし、ノベルゲでもかなり時間をとるんですよね。(家族計画の総プレイ時間を眺めながら(30時間オーバーしてる))
だから損しちゃったらどうしよう!!時間とお金を無駄にさせてしまった!とかごちゃごちゃ考えてしまったり。
なのでお勧めのゲームとか聞かれるとしばし思案します。相手がどんなゲーム好きか、とか。普段どんなゲームしてるのかなっていうヒアリングから入ってしまう。
昔からRPGが好きな子もいれば、もう最近は乙女ゲー以外やる気しないって子もいれば、ノベルゲ飽きる!って子もいますので。
いつかも書いたけど、特に乙女ゲは嗜好によって評価が割れまくるので、かなり慎重になってしまう。
新しい乙女ゲやってるよ!って子に対しては「どうか君にとっての萌えキャラが見つかりますように」とかお祈りしちゃいますよ。自分もだけどね。
で、今、私は結構ロミオが熱くて、ロミオなら外れなしだぜ!とか思って、死ぬまでにロミオゲーを全部やっときたいなくらいには思っているんですがもし外れに当たっちゃったらどうしよう、期待しすぎは良くないなーとも思っています。
期待値の高さというのは両刃の剣ですよね。本当に。
遙か5とかFFがその代表例だなと思いつつ。
(遙か5やFFをdisっているわけではなく、そういう事象があったなということで例にあげさせてもらっています。どちらの作品も古参ファンは切り捨てたかもしれないが、新規をつかんでいるらしいですし)
同じ人が作っていても、その出来上がりというのには差があって当たり前なんだなというのはひどく思うのです。もしくは、同じシリーズでも毛色の違うものが出来上がったりするのはかなり自然なことなんですよね。作品というのは、その時期にしか作れない代物であることが往々である。
乙女ゲでも、このメーカーならこれ!とかこのライター・ディレクターならこれ!といった期待値の指標がある程度あるんですけれど毎回それに沿っているかといえばそうではなく、喜ぶのはほんの一握りの信者のみだったりする。そしてその信者が買い支えていたりするのですよね。
大半は「なーんだ期待外れだった!」と言ってることが多いんじゃないかな。
漫画でもそうですよね。同じ作家でも好きな作品もあれば、〇〇は面白かったけどあまり・・・って言うのはよくあることで。
それについて、最近は結構厳しいのかな?と感じてしまう瞬間はある。
あれって何なんでしょうね。付き合っていた人に裏切られたみたいな感じなのかな。私の好きなあなたじゃないなんて!って気持ち。そんなあなたも好きだよっ、はいお布施♪ってなれば信者になれるのかなと思うんですが、なかなかどうして難しいよなー。つまんないもんはつまんないですから。気に入らないもんは気に入らないですし。
熱心なファンというのは、「信者になれるほどではないけれど、裏切られたら嫌いになっちゃいそう。」くらいの人が多いんじゃないだろうかと勝手に思っている。
好きな時は盲信と揶揄されるほどに愛している気持ちになれるんですが、そのうち荒が見えて幻滅して、そのうちアンチに転じてしまうんでしょうね。愛が憎しみに変わる瞬間ですね。二次元だと萌えるけど、三次元でこれが起こると心が荒んでしまう。つまり魔女化ということです。
魔女化しないためには作品と適度に距離をとり、いくら周囲が騒いでも必要のない情報は自分の中に一切入れないとか、強力な心の壁を構築するといった対応策があります。
そこまでいけばもう安心、あなたの萌えに邪魔はない、ってなる。はず。
ですが、距離がとられているので、ビミョーに隙間風が吹いて冷えたお腹が痛くなったりするんですよねえ。波にのれてないな、とか、ノリ悪いな私・・・とか。盲信できるくらいハマれりゃ楽しいけど、もう魔女化するのは嫌よ、ってなったらその痛みに耐えるしかないと思いつつ。
お祭り状態の周囲を指くわえて眺めるだけで精いっぱいなよと自分に言い聞かせる。
そうであっても、また期待しちゃうんですよね。愚かなことに。
またあの萌えを!喜びと興奮と快感を!私をどこまでも悦ばせてくれ!私の好きなあなたなら出来るはず!などと考えてしまうかもしれない。
そのあなたって言うのが、私の作り出した虚像に過ぎないと、気づかぬふりをしてるだけでも。
今年も、自分が好きな作品の続編とか結構出るよなーって思うのでなんとなくこんなことを考えたのでした。
なんでかと言うと、自分が面白いよーって思って薦めたはいいものの相手が楽しめなかったらどうしよう?って不安になるのです。
今やっているアニメとかネットでわかるものならまだしも、ゲームだったりすると・・・ねえ。高いし、ノベルゲでもかなり時間をとるんですよね。(家族計画の総プレイ時間を眺めながら(30時間オーバーしてる))
だから損しちゃったらどうしよう!!時間とお金を無駄にさせてしまった!とかごちゃごちゃ考えてしまったり。
なのでお勧めのゲームとか聞かれるとしばし思案します。相手がどんなゲーム好きか、とか。普段どんなゲームしてるのかなっていうヒアリングから入ってしまう。
昔からRPGが好きな子もいれば、もう最近は乙女ゲー以外やる気しないって子もいれば、ノベルゲ飽きる!って子もいますので。
いつかも書いたけど、特に乙女ゲは嗜好によって評価が割れまくるので、かなり慎重になってしまう。
新しい乙女ゲやってるよ!って子に対しては「どうか君にとっての萌えキャラが見つかりますように」とかお祈りしちゃいますよ。自分もだけどね。
で、今、私は結構ロミオが熱くて、ロミオなら外れなしだぜ!とか思って、死ぬまでにロミオゲーを全部やっときたいなくらいには思っているんですがもし外れに当たっちゃったらどうしよう、期待しすぎは良くないなーとも思っています。
期待値の高さというのは両刃の剣ですよね。本当に。
遙か5とかFFがその代表例だなと思いつつ。
(遙か5やFFをdisっているわけではなく、そういう事象があったなということで例にあげさせてもらっています。どちらの作品も古参ファンは切り捨てたかもしれないが、新規をつかんでいるらしいですし)
同じ人が作っていても、その出来上がりというのには差があって当たり前なんだなというのはひどく思うのです。もしくは、同じシリーズでも毛色の違うものが出来上がったりするのはかなり自然なことなんですよね。作品というのは、その時期にしか作れない代物であることが往々である。
乙女ゲでも、このメーカーならこれ!とかこのライター・ディレクターならこれ!といった期待値の指標がある程度あるんですけれど毎回それに沿っているかといえばそうではなく、喜ぶのはほんの一握りの信者のみだったりする。そしてその信者が買い支えていたりするのですよね。
大半は「なーんだ期待外れだった!」と言ってることが多いんじゃないかな。
漫画でもそうですよね。同じ作家でも好きな作品もあれば、〇〇は面白かったけどあまり・・・って言うのはよくあることで。
それについて、最近は結構厳しいのかな?と感じてしまう瞬間はある。
あれって何なんでしょうね。付き合っていた人に裏切られたみたいな感じなのかな。私の好きなあなたじゃないなんて!って気持ち。そんなあなたも好きだよっ、はいお布施♪ってなれば信者になれるのかなと思うんですが、なかなかどうして難しいよなー。つまんないもんはつまんないですから。気に入らないもんは気に入らないですし。
熱心なファンというのは、「信者になれるほどではないけれど、裏切られたら嫌いになっちゃいそう。」くらいの人が多いんじゃないだろうかと勝手に思っている。
好きな時は盲信と揶揄されるほどに愛している気持ちになれるんですが、そのうち荒が見えて幻滅して、そのうちアンチに転じてしまうんでしょうね。愛が憎しみに変わる瞬間ですね。二次元だと萌えるけど、三次元でこれが起こると心が荒んでしまう。つまり魔女化ということです。
魔女化しないためには作品と適度に距離をとり、いくら周囲が騒いでも必要のない情報は自分の中に一切入れないとか、強力な心の壁を構築するといった対応策があります。
そこまでいけばもう安心、あなたの萌えに邪魔はない、ってなる。はず。
ですが、距離がとられているので、ビミョーに隙間風が吹いて冷えたお腹が痛くなったりするんですよねえ。波にのれてないな、とか、ノリ悪いな私・・・とか。盲信できるくらいハマれりゃ楽しいけど、もう魔女化するのは嫌よ、ってなったらその痛みに耐えるしかないと思いつつ。
お祭り状態の周囲を指くわえて眺めるだけで精いっぱいなよと自分に言い聞かせる。
そうであっても、また期待しちゃうんですよね。愚かなことに。
またあの萌えを!喜びと興奮と快感を!私をどこまでも悦ばせてくれ!私の好きなあなたなら出来るはず!などと考えてしまうかもしれない。
そのあなたって言うのが、私の作り出した虚像に過ぎないと、気づかぬふりをしてるだけでも。
今年も、自分が好きな作品の続編とか結構出るよなーって思うのでなんとなくこんなことを考えたのでした。
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